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ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』 [日常読んだ本]

伽藍が白かったとき (岩波文庫 (33-570-1))

伽藍が白かったとき (岩波文庫 (33-570-1))

  • 作者: 生田 勉, 樋口 清, ル・コルビュジエ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 文庫


 いわずと知れた建築家,ル・コルビュジエ.といいながら,私のなかでは国立西洋美術館の設計をした人というぐらいの知識しかありませんでしたが,会社で知り合った友人が卒論でル・コルビュジエを扱ったとのことだったので,話題づくりもあって読んでみたのが,ル・コルビュジエがアメリカ訪問にあたっての雑感をまとめたこの本.大学で郊外研究をした私としては,その郊外-都市観が非常に興味深かったのみならず,建築とは思想なのだなと再認識させられました.

 ル・コルビュジエは,機械文明以前のコンセプトに基づいた現在の都市のありようを否定し,機会を活用した新しい生活様式,その実現のための建築への転換を主張します.現代の都市では,馬車の時代につくられた道々で自動車が滞り,人々が田園都市といわれる郊外から職場へと地下鉄や鉄道で大移動することで時間が浪費されているばかりでなく,拡散した人々の暮らしを支えるインフラ整備への莫大な公共投資を支える税金を捻出するため,人々は浪費的に働かざるを得ない.そこで,真の意味での田園に取り囲まれた都心部に摩天楼の住宅を建て,郊外に拡散した人口をコンパクトに集中させることで,浪費のための労働から人々を解き放つとするのです.

 高密度の摩天楼の住宅を建てることで周囲に田園地帯を創出させるという考え方は,「輝く都市」として,自身によって既に示されていた所ではあったものの,彼はアメリカ滞在中にエレベータやエアコンで地上と変わらない生活を実現した摩天楼を,身をもって味わうことになったわけです.一方で,彼は都市の雑踏から逃れるといいながら結局は都市の拡大に外ならない田園都市を建設し,莫大な時間とお金を浪費する人々の姿をそこに見たのでした.

 「伽藍は白かったのだ」.つまり,今となっては黒ずんで見える中世のカテドラルは,それまでのギリシア・ローマの伝統やビザンチンの固定化した型にきっぱり背を向け,その時代の人々にふさわしい様式として新しく打ち立てられたものであったことを象徴的にル・コルビュジエは語ります.機械文明に生きる私たちがそれにふさわしい生活様式に転換するにあたっての伽藍は,まさに同じく空にそびえる摩天楼にあたるわけです.

 例えば,日本で団地といわれるような標準化された高密度の住宅が多くの困難を抱え込んでいる/いたことを知っている私たちとしては,それは単純に肯定されるべきものではないにせよ,郊外育ちの子供はキレやすいというような短絡的な「郊外の病理」での郊外批判とは異なる迫力を持っていることは確かです.なるほど,私が朝7時半から20時過ぎまで働いているうちの相当分は浪費のためか…郊外住宅地擁護派の私としては非常に面白い所です.

 ちょっと,本筋から離れて面白かったのはアメリカへの両義的なまなざしです.アメリカには現代の記念碑となるべき摩天楼がそびえているんだけれども,そのふもとには旧時代からの悪弊が渦巻いていて,ル・コルビュジエにとっても全面的に否定すべき場所でもないし,全面的に肯定すべき場所でもない.「すごくアメリカっていいなあ」という思いと「嫌いだな」という思いが入り交じったこの感覚は,現在もなお多くの人々に持たれているようにも思う.

 もっと,精緻に考えたいし,考えたいこともいろいろあるのに時間がない!ということで終了.


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