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東浩紀・北田暁大『東京から考える』と松原隆一郎『失われた景観』 [郊外について]

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム

  • 作者: 東 浩紀, 北田 暁大
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本

 「読んだ何かから考える」の郊外シリーズ,第一弾.

 とはいえ,基本的にこの本は「東京から考える」わけで,単なる郊外論というわけではない.読みながら,東さんが何度か使っている郊外で暮らす夫婦が子供を「殖やす」という表現が柳沢厚労相の「生む機械」発言も頭にあって,印象に残っていたところの最終章の世代とネイション,少子化と血のナショナリズムに関するやり取りは納得させられてしまった.人間が完全な個として生まれ,個として死んでいくのではない以上,通時的な次元を考えると,生殖の問題は避けて通れないというわけだ.

 全体的には,若干二人の間のとらえ方にずれがあるけれども,郊外を超えて影響力を持つ人間工学的に正しい「国道16号的」・「ジャスコ的」な郊外の論理を前にして,確かに「ジャスコ的」な郊外は多様性も担保していて,暮らしやすくもあるんだけど,それに反する下北沢的なものも救ってもいいよなあ,どうなんだろ?というところが一連の議論の核になっている.

 郊外に関して興味深かったのは,「国道16号的」郊外と阿佐ヶ谷の中間項に,青葉台などの適度にコミュニティの幻想を演出するシミュラークルに満ちたテーマパークとしての「広告郊外」をおくという図式だ.郊外の過去を特に戦前に振り返るならば,田園調布に代表されるように,もっと都心よりに住むことも可能だったにもかかわらず,都市の物理的・精神的環境を嫌い,自然っぽさが強調された郊外へと移住したという状況がある.その意味では,テーマパークとしての郊外は「由緒正しき郊外」とでもいうべきものになる.自分自身に関していえば,殺伐とした「国道16号的」郊外には何となく住みたくないし,阿佐ヶ谷のあの活気にあふれたアーケードも地元の商店街と同じだとするならば,ちょっと違うのかなと思う.そのとき,適度に街っぽくて,適度に便利な郊外住宅地はやっぱり魅力的に映る.別に批評家ではないので,好きなところに住んでいいわけで,そこに自分の立場を説明する必要はないのだけれども,ちょっと気になるところではある.

 この本が通常の郊外論と異なるのは,「国道16号的」は間違っている!人間工学的な郊外はいかんのだ!とはならないところにもある.基本的な郊外論は郊外の問題を解決せよ!というスタンスがあるわけだけれども,これでは基本的に人間工学的に正しくて暮らしやすい郊外を認めつつ,どうするかということになる.

 例えば,『東京から考える』でも取り上げられている,松原隆一郎『失われた景観』は郊外の景観はひどいことが当然の前提とされている.この本で松原さんは景観について考えずに経済中心に街づくりが考えられてきたこと,あるいは街づくりということ自体が考えられてこなかったことを批判する.

失われた景観―戦後日本が築いたもの

失われた景観―戦後日本が築いたもの

  • 作者: 松原 隆一郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 新書

 これに疑問に思うのは,郊外の景観はひどいというのは,本当に前提で良いのかということと,ならば郊外で形成されるべき景観とは何かということだ.

 前者に関していえば,阿佐ヶ谷に住む松原さんが郊外の景観を嫌うのはわかるけれども,果たして,郊外住民はその景観を嫌っているのかだろうか.『東京から考える』でも言及されているように,郊外育ちの団塊ジュニアにとっては「広告郊外」が原風景なのと同様に,現在の郊外の子供たちはそれをひどい!と思うとは限らない.

 しかも,面白いのは,松原さんは景観の保全の主張を求めての桜並木が続く住吉川沿いの新交通システムの高架建設反対運動に賛同し,神戸市の「すぐれた景観を創出する」という立場を批判している点だ.もちろん,松原さんがいうように,地元住民の「場所」への思いは理解できるし,「景観の断絶を許さない」という立場もわかる.ただ,あなたたちが守ろうとしているのは,コンクリートでガチガチに固められた護岸をもって,直線化された住吉川だということは了解しておかなければならない.神戸市にいわせれば,君たちは蛇行していた川をまっすぐに,土の自然な護岸からコンクリート製に改めた住吉川をこんなにも愛せているのでしょう?そのときと同じように,「すぐれた景観を創出」して,また愛していただける景観にきっとしますよ,とでもいうことになる.

 もちろん,現住民にとって愛着があるのは,今の桜並木をもつコンクリート製の住吉川が守られるべきものであるのには変わりないので,守るべく運動を展開していただきたいところですが,もっと年上のおじいさん,おばあさんはこの運動をどう思っているのだろうか.そして,そこで生まれ育つことになる運動している市民の子供たちは,川,桜(もとの木は伐採され,何が植えられたかは不明だが,桜にしない理由もなさそう),そして自分たちの暮らしを支える新交通システムのある新たな景観を自然と暮らしが調和した美しい景観だと思うかもしれない.たとえ神戸市の「すぐれた景観を創出する」というフレーズが欺瞞だとしても(とはいえ,住民側が求める地下方式だと効果とは相当にコストが異なるはずなので,景観とその経済的・精神的コストを天秤にかけたとき,高架建設をとることが誤りだとはいえないとも思うが),そこにある種の真実があることは建設反対運動自体が示してしまっている部分がある.これは後者の問題につながっていて,郊外で形成されるべき,あるいは保全されるべき景観も世代によって相当に異なってしまう.年配の人達は里地里山的な景観を保全せよというかもしれないけれども,それは若者の同意を得られるとは限らない.ジャスコがあって,ツタヤがあって,ガストがあってという郊外の景観こそが彼らにとっては美しいのかもしれない.

 ということで,問題は再び世代の問題に還ってくる.松原さん的な郊外論の疑問を抱かせないで,しっかりとそれもテーマに据えてくれる『東京から考える』は相当に面白い.


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