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高橋哲哉『靖国問題』 [日常読んだ本]

靖国問題

靖国問題

  • 作者: 高橋 哲哉
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 新書

 「この問題を語る上で決して外せない一冊が登場した!」との真っ赤な帯が目を引きます。私は2年前に駒場で高橋先生の、靖国問題をテーマにした「社会哲学」の授業を受けたことがあったので、だいたい同じなんだろうなと読んでいなかったわけですが、やはりだいたい一緒でした。ただ、確か授業ではもっと古代ギリシア時代の葬送演説とか、カントーロヴィチ『王の二つの身体』とかの検討があった気がするので、その辺はカットされたようです。ただ、結局最初から最後まで「お固い新書」で決して読みやすくはないので、30万部以上が売れたらしいのですが、果たしてそのうち何人が最後まで読み終えたかが若干疑問な一冊ではあります。

 著者の一番指摘したいことは、「靖国問題の根幹にあるのは、首相の靖国参拝が違憲かどうか、A級戦犯の祀られている靖国に首相が参拝するとアジアの国々からの反発があるからやめた方がいい、とかそういうことではない。靖国神社とは戦争への国民の動員を、つまり戦争の存在自体を担保するシステムなのだ」ということです。簡単にいえば、「僕は戦争で死んだとしても、靖国に祀ってくれるんだからいいや、戦場に行ってきます」と本人に、「そうね、いってらっしゃい」と家族に言わせるシステムが築かれているということです。「死にたくない!こんな死は犬死にじゃないか!」、「そうよ!かわいい息子を、愛しい夫を、そんなところへ行かせるわけにはいかないわ!」と少なくとも表面上は言わせないのが靖国神社の役目であるわけです。ここで、注意しないといけないのは、国が「戦死者」(「ザ・戦争」以外の死者も含むということ)を追悼する限りは、たとえ無宗教の追悼施設であろうと、結局それは第二の靖国、戦争を担保するシステムの構築につながってしまうということです。だから、「本当の反戦」のためには国による追悼を一切拒否すべきということになる。

 ほかにも様々な面から靖国問題を検証しているわけですが、一番言いたいのは以上のことです。高橋哲哉はもちろん「左の知識人」ということになるわけだけれども、この本では中国や韓国の肩を持っているというわけでもなく、「靖国神社」的なものに対する批判に力点があるわけです。戦死者の顕彰をする点では、中国でも、韓国でも、アメリカでも同じです。授業では、それぞれの国の追悼施設についても批判的なトーンで検討していたけれども、その部分はほぼないところが、アカデミックな場とは違う、「新書」という空間なのかもしれません。

 私が、このような公共の場で賛否を表明するのは危険なのでf(^^;)しませんが、この本は右左問わず役立つのではないかと思います。高橋さんの見方で言えば、究極的には靖国が必要か否か、許せる否かは、国家の戦争が必要か否か、許せるか否かになるわけで、象徴的に言えば、「あなたは国のために死ねますか」ということになるのではないでしょうか。そのときの「はい、死ねます」、「いいえ、死ねません」、そこに賛否の源泉はあるのかもしれません。高橋さんは「そんなの死ねないよ」ということを前提に議論を組み立てているけれども、きっとそこにほころびがある気もします。そうすると「国とは何か」という問いが重要で、ここをないがしろに靖国は語れない。私は社会学を専攻しているわけだけども、倫理学の授業に実は今、結構はまっていて、そうすると社会学的な「国」とはまた違う見方がありそうです。いずれにしても、騒ぐだけでは何もわからない、解決しないのが靖国問題、ということになるでしょうか。

(今回は講演会風に書いてみました)


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