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竹内洋『丸山眞男の時代』と『論座』2006年1月号 [日常読んだ本]

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム

  • 作者: 竹内 洋
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 新書


  一言でいえば、丸山眞男を軸とした戦後日本論。大きく分けて、2つの観点がある。まとめてみると...

 1つ目は、丸山がいかに戦後日本に位置づけられるかについて。丸山は、『世界』に掲載された「超国家主義の論理と心理」で「本郷文化圏」での地位を築いたことをきっかけに、『現代政治の思想と行動』や『日本の思想』で読者層を拡大、平和問題談話会などを通じて、戦後の代表的知識人として国民を啓蒙し、60年の安保闘争では、それを本職とするのではない自発的に参加した一般の市民により運動が成り立ったという点で一定の成功を収めた。しかし、それ以降は、大学が大衆化して、経済的にも、文化的にもエリートたり得ず、文化貴族への怨恨を抱く全共闘学生や、それを代弁する吉本隆明などの次世代のインテリによって、丸山は批判されていく。

 2つ目は、なぜ丸山がこのように戦後知識人の中で主導的な地位をつかむことができたか、そして大学・知識人・ジャーナリズムの関係について。前者に関していえば丸山が東京大学法学部で政治思想史を専門としていたことが大きい。文化的には劣るが実際的で、権力に結びつき、社会への接続を拒まない法学部的なるものと、経済的には劣るが文化的で、社会的活動からの遮断をよしとする文学部的なるものの中間にあるのが政治学であり、さらには、文学部から見れば大風呂敷に映る、西洋的な分析枠組での日本論を可能にした。後者に関していえば、丸山はジャーナリズムに汚染されることを嫌い、登場する媒体を選びながらも、媒体をアカデミズムとジャーナリズムを股にかけることで双方の威信と名声を高めあっていくことができたが、現代では大学はジャーナリズムよりも権力的に下位に置かれ、知識人は「知識人兼ジャーナリスト兼芸能人というトリック・スター的知識人」になっている。

 私は丸山眞男といえば、高校生のとき読んだ『日本の思想』と、西洋的な見方で徳川時代の思想を読み込んだ人、というような一般的な知識しかないのでその云々というところは何ともいえない。2つ目の「法学部的/文学部的」との観点と現在の知識人についてはなるほど、と思った。

 元々法学部で政治学を学びたかった私としては、文学部につながる文科三類に入ってジャーナリステックな文脈に興味がない雰囲気に当初は、なんとなく違和感があった。(今となってはすっかり文学部に染まって、高校時代の友人には現実から見方が乖離していると言われますが。)私が政治学を学びたかったのは、単なる実利ではなくて、理念的なものもそこにはあるのかなと考えていたからだったので、文学部の中では法学部的な社会学を選んだことは当然の帰結なのかもしれない。

 と、個人的な回顧は置いておいて。現在『世界』によく出てきて、アカデミックな香りの強い知識人としては丸山と同じく東京大学法学部で国際政治を専門としている藤原帰一が思い浮かぶ。ただ、藤原さんは、あくまで政治学の範囲を意図的に逸脱しようとしない、あるいは需要がないから積極的にジャーナリズムの世界に進出しようとしても受け入れられないのかはさておき、一般に広く受け入れられているとは言いがたい。「社会学の時代」らしい今日、現在の知識人のポジショニングについての話を読んで思い出すのは、というよりも、想定されているのは筆者の「同業者」、宮台真司ではないだろうか。(トリック・スターとは辞書を引いてみると、1. 詐欺師、2. 社会の道徳・秩序を乱す一方、文化の活性化の役割を担うような存在、とのこと。)2006年1月号『論座』の「社会学は進化しつづける」では、宮台さんがなぜアカデミズムに興味がないかについてや、社会学の中でのアカデミズム—ジャーナリズムが乖離していき、社会学が薄く広く引き延ばされる状況についてが語られている。宮台さん曰く「SFC的」(しかもリスニングができないんだからこれも失格?)で、まさに「コピペ野郎」な学部生の私が途中で振り落とされた(-_-;ように、こんなに専門的な話を、『論座』に載せていったい誰がついていけるのか謎だけれども。

 ところで、竹内さんの『教養主義の没落』では、教養主義の象徴的存在として『世界』や岩波文庫など岩波文化が据えられていた。今回も丸山が「スター」への階段を駆け上るきっかけとして、あるいは丸山のポジショニングに大きく関わるものとしてそれは挙げられている。せっかくなので、書庫に入って、『世界』の創刊号や「超国家主義の論理と心理」が掲載された1946年5月号を探してみた。和辻哲郎などのビッグネームが並ぶなか、確かに「超国家主義の論理と心理」はほかと比べても半端なく線が引かれ、書き込みがされている。『丸山眞男の時代』にはこの論文を書き写した人の話も載っていたぐらいだから、本当に当時の学生にとって衝撃的なものだったのだろう。SFCがもてはやされる今日と、「超国家主義の論理と心理」に心躍らせた1946年と、その隔たった学生の姿に思いをはせてしまった。必ずしも、どちらが良いということはないだろうが、上っ面だけ整えました、という生き方を反省した瞬間だった。


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