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白岩玄『野ブタ。をプロデュース』 [日常読んだ本]

野ブタ。をプロデュース

野ブタ。をプロデュース

  • 作者: 白岩 玄
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2004/11/20
  • メディア: 単行本


 周りとの適度な距離を保ち、「友達」や「彼女」を適度にひきつけるように振る舞ってきて、クラスの人気者である桐谷修二が、転校生で、太っていて、見た目として既にキモい典型的ないじめられっ子である小谷信太を「野ブタ」といういじめられっ子キャラの人気者へとプロデュースしていく。その過程で、自分を取り繕ってきた修二は「着ぐるみ」を着ていない春休みに、「友達」がいじめられていることを見過ごしてしまう。その結果、野ブタは人気者になる一方で、「修二はそういう軽薄な奴だと薄々は思っていたけど」という空気が学校では広がることになり、今度は修二の方が孤立し、新しい学校へと転校していく。

 昨年、日本テレビで放送されたドラマでは、基本的な部分は踏襲されているものの、野ブタは堀北真希が演じる小谷信子という女の子になり、それをプロデュースするのも、亀梨和也が演じる桐谷修二だけでなく、原作には登場しない山下智久が演じる草野彰が加わっている。ドラマも小説も、アイデンティティ管理に主眼が置かれている点は同じだが、前者では修二と彰と信子の友情にスポットを当てる一方で、後者では友情は存在しうるのかについて最後まで懐疑的な立場が取られている。以下、小説とドラマについてみていく。

 「本当の自分をわかってくれる人が友達なんだ」という見方を(特に小説では)否定する修二は、いつも何かを演じていることになる。誰かに対して、理想的な自分を作り上げて、それを演じることは否定的にとらえられることが多いように思う。(ビジネス本や自己啓発書などでは別だろうが。)しかし、この本ではどちらかといえば、それは肯定される。そもそも、小谷信太が、あるいは小谷信子が先天的にキモいのでは、人気者になれるはずがない。人気者になれるように演じられるからこそ、野ブタはいじめから脱却できる。

 しかし、小説では修二はその演技が結局は見透かされて、完全にいじめられっ子になってしまう。修二自身は最後に描かれる新たな学校でも、セルフプロデュースへの決意をしていることからすれば、自らを演じていくことを絶望視しているわけでもなく、むしろ、今回はたまたま失敗しただけだと考えているともいえる。ドラマでは、父の転勤に伴って転校した修二についてきた彰が、新たな高校では中心人物になり、修二がクラスで浮いた存在になるというように、転校は「自分」の流動性を強調する要素となっている。

 ただ、小説にも本当の自分をさらけ出すことを求めている部分も描かれている。それは、周囲からは付き合っていると考えられている、そして彼女自身もそう考えている、マリ子との交流においてである。当初は、そして表面的には、マリ子と仲良く振る舞うことは、修二にとっては学校一の女の子であるマリ子をモノにしたステータスを得るためにすぎない。しかし、マリ子との交流では、特に野ブタがマリ子のことが好きだと明かして以来、修二の演技に「ほころび」が生じることが多い。性的にマリ子に惹かれる修二と、理想的な自分を演じる修二の単なるギャップといえばそれまでだが、あえてマリ子に自分の態度はつくられたものだったことを言い捨てた後に、マリ子への思いを改めて感じ、告白しようとしたことを考えると、演技を超えた関係、実際の自分(自分を取り繕ってきたことも含めて)を認めた上での関係を求めていたと読めないだろうか。

 一方でドラマでは、本当の自分を取り結ぶ絆が強調されている。小説では家族の前でも演技をしている様子がうかがえたが、ドラマでは仲の良い家族である。最終回で修二に転校を決意させたのは中島裕翔が演じる弟の浩二の涙だった。そして何よりも、プロデュースの過程で修二と彰、そしてその二人と野ブタの間で演技ではない友情が成立していく様子がドラマでは大きな柱となっている。小説では修二が自分と野ブタが近づきすぎることを嫌っているのと対照的である。

 修二と彰といえば、「青春アミーゴ」。これを聞くと、小説には出てこないドラマの彰は何者なのかがわかるように思う。まさに修二と彰は「いつでも2人で1人だった」のではないだろうか。ドラマの中の、二人のある種恋人のような絡みはおそらく視聴率的に演出されたものだろうが、それ以上に小説での修二を分裂させたものが彰だともいえよう。彰は自分の演出を間違ってしまった修二であり、本当の自分への思いを捨てきれない修二である。一方の修二は完全にクールな自分を演じきる。そして、その二人、修二と彰の壁が回を重ねるごとに消えていき、一人へとなっていくかに見える。しかし、転校という新しい環境へのデビューに際して、その壁は再び立ち上がる。しかも、今度は彰が修二に、修二が彰になるわけだ。

 最後に、この小説そのものについて。タイトルどおり、野ブタをプロデュースする話とみるならば、納得。が、修二自身のプロデュースにもフォーカスがあるのならば(実際あるが)、読者としてはその心の移ろいをより深く知りたい。特に、マリ子との関係での心境の変化は丁寧に追ってほしい。と、偉そうなことを言って、感想終了。


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