C. S. ルイス『ナルニア国ものがたり 朝びらき丸 東の海へ』 [日常読んだ本]
今、上映中の「ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女」の原作である、C. S. ルイスのナルニア国ものがたりシリーズの第三作。この本では、これまでの作品でナルニアに導かれていたピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィのうち、「進歩的」(=アメリカかぶれ)なおじさんのうちに預けられた、下二人のエドマンドとルーシィ、そしていとこのユースチスがナルニアへと旅立ちます。そこで彼らは、先の暴君によって島流しにされた諸侯を探す航海に出た、前作で王位に就いたカスピアンと出会い、ともに朝びらき丸で東へと向かい、多くの経験をすることになります。
印象としては、これまで読んだ三作の中では一番面白かった。これはナルニア全般に言えることだけれども、話の構造や子どもたちの体験などがお説教くさいのは、人によって好き嫌いが分かれるところかと思いますが。ただ、著者はこのシーンで何を訴えたいのかを考えることが好きな人は相当楽しめる作品だろうし、そんなことは考えない!という人も、次々に彼らが出会う不思議な世界に、彼らの冒険に心躍らせることができます。なかでも、ラストのこの世のはてに向かう彼らを待ち受ける「海」の広がりは圧巻です。これは映画化するとしたら楽しみだな、と思うも、第二作の「カスピアン王子のつのぶえ」がアメリカで2007年12月公開ということなので、いつになるのやら、わかりませんが。
シリーズ全般を貫くテーマは(といっても私が思うだけかもしれないけれども)、「信じる」ということ。それを中核に、勇ましさであるとか、素直さ、堅実さといった様々な美徳が散りばめられた冒険が据えられます。エドマンドの罪を背負って処刑された後、復活したアスラン(もちろん、イエス・キリストを想起させる)が自らを信じるものたちが過ちを犯そうとするたびに現れては、彼らを正しき道へと導くわけです。この『朝びらき丸 東の海へ』でも、はじめは「お勉強」好きで協調性がなく、ルーシィ兄弟や船員たちから嫌われていたユースチスが改心して、良い子になります。読み手としては、別にキリスト教徒ではなくとも、その理念に共感することができるし、あるいは、通奏低音としての「アスランの正義」のおかげで、あたかも「水戸黄門」のように安心して身をゆだねることができるので、過度の心配をすることなく、彼らの冒険を味わうことができるともいえるかもしれません。
この本のエンディングで、アスランはナルニアではない、この世界にも別の名前で私は存在し、ルーシィたちはその名前を知ることを習わなければならないのだ、と語ります。そして、ルーシィたちがナルニアに連れてこられた本当のわけはそこにあるのだ、とします。ということは、この冒険の目的はまさにキリスト教を信仰することの練習にあるということに。この本を私は就活中に時間つぶしで立ち寄った銀座の教文館で買いましたが、教文館といえば、一般の書籍も多く扱っているものの、メインはなんと言ってもキリスト教書です。そこの児童書売り場は「ナルニア国」という名前であったり、聖書やキリスト教の研究書が並べられた棚の一角に、この「ナルニア国ものがたり」シリーズも並べられていたりするわけです。キリスト教圏では、というよりも、日本のキリスト教徒の中では、どんな位置づけでこの本が読まれているのか知りたくなりました。
さて、これはナルニアとは関係ないのですが、その教文館で面白かったのは、3階の売り場の構成です。3階はオルガンの音色が響く中、キリスト教書に加えて、岩波書店やみすず書房などの人文系の学術書がすぐ横で売られています。日本の人文系の学問の状況を象徴しているかのようで、ちょっとおかしくなってしまいました。
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